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NDソフトアスリートクラブ

2020年、勝ちにいくために

光武選手・熊倉選手・齋藤選手
2年目ルーキーインタビュー

PROFILE

光武 洋
中央学院大学卒業。自己ベストは5000 m14分11秒 、10000 m 29分20秒、ハーフマラソン64分6秒。関東インカレにて、大学3年次に10000m 35位。4年次に5000 m 25位。大学3年次に箱根駅伝メンバーにエントリーされる。
熊倉 優介
上武大学卒業。自己ベストは5000m14分9秒。10000m29分45秒。ハーフマラソン63分56秒。大学3年次、箱根駅伝3区出走。
齋藤 諒
大東文化大学卒業。自己ベストは5000m14分11秒。10000m29分9秒。ハーフマラソン63分37秒。大学2年次より3年連続で関東インカレ出場。箱根駅伝は3年次7区、4年次に3区出走。

2019年11月の東日本実業団対抗駅伝競走大会では、当時ルーキーでありながら、3選手とも出場しました。
感想と、ご自身が感じた課題を教えてください。

齋藤
自分は4区を走りましたが、3区の照井さんが3位で来たとき、周りには箱根駅伝でも区間賞を取っているような選手が3、4人いて「これは、もうやばいな」と。自分はどちらかというと本番に強いタイプなのですが、あのときだけは、そう思ってしまいました。案の定2km走ったあたりで追いつかれ、しばらくは粘ったのですが、離されて悔しかったです。4区というのは、1km2分50秒くらいのペースを保たないと話にならないようなスピード区間ですが、大会を通して、根本的に自分のスピード持久力の不足を感じました。その後、10000m28分台を記録(28分50秒16)するなど、タイムを縮めているので、今は、その時自分を追い抜いていった選手達と勝負できるイメージを少し持てていると思います。彼らと自分を比べた時、タイムはさほど変わりませんが、まだ強さに差があると思うので、それを課題に感じています。
熊倉
諒君の次、5区を走りました。諒君が8位で来たとき、率直に言うと「やべ、逃げ切れるかな」と不安になりました。1年目で右も左もわからず、できることをやるしかないと思って走りましたが、やはり自分の経験不足を感じましたね。周りの出場選手は大学時代から大舞台に立ってきた中、自分は箱根駅伝くらいしか走ってこなかったので、経験の差がもろに出てしまったという印象です。今年は、上の選手に食らいつけるような選手になりたいです。
光武
僕はアンカーを走りました。4年ぶりの駅伝で、「やっばいなあ、どうしよう」と思いながらも、なかなかペースが上がらず。1km3分くらいで走っていたら、後ろから声援が聞こえ、振り返るともう次の集団が来ていて。その集団について、「アンカーだから、もう離れられへん」と思ってがんばりましたが、歩道橋のところでペーサーのスピードが一気に上がって、離れてしまいました。うわあ、と思いながら競技場に入って。12位までがニューイヤー駅伝に出場できる中、14位。悔しかったです。チーム加入から故障が続いていて、あまり準備ができていなかったため、やはり走り込みが課題だと感じました。この悔しさから、この冬はしっかり練習を重ね、今はやっと調子が上がってきています。

走りの“大義”はありますか?

光武
大学のときは「箱根駅伝に出たい」「監督に認められたい」と思って走っていましたが、やっぱり一番は「速くなりたい、強くなりたい」という想いです。昨年秋ごろ、走れなくなった時に「なんのために陸上やってるんだろう?」と思ったんです。こんな状態なら、やる必要ないんじゃないかって。でも続けていく中で、しっかり走れるとやっぱり楽しかったんです。自分の中に「強くなりたい」という想いがあることを改めて確認しました。
齋藤
自分が結果を出すことによって、社員や家族、一番はこのアスリートクラブを作ってくれた会長の喜ぶ顔が見たいという想いです。1年前は、自分の生活のために、走っていました。ただ、入寮してすぐの白子合宿で、照井さんに「おまえが走ることによって、社員、親、友人たちに喜んでもらえるのだから、感謝とかのために走ったほうがいいと思うよ」と言われたんです。その後、一度スランプに陥り、なんとか抜けて自己ベストを更新した際に、社員や家族、友人が「がんばったね」と声をかけてくれて、ようやく照井さんの言っていたことがわかりました。今は、身の回りの人の喜ぶ顔を見るために走っています。
熊倉
家族への恩返しでもありますし、彼女が支えになってくれていて、原動力にもなっています。また、中学生の頃の僕を拾ってくれた大切な恩師がいて、その人がいなかったら自分はダメになっていたと思っているので、その恩師への想いも強いです。ひとつではなく、分散していますね。大きくとらえると、恩返しなのかもしれないです。

競技への意識を高く保つために、心がけていることはありますか。

齋藤
毎回、「この大会で外したらクビ」くらいの勢いで走っています。先日、監督から「努力の過程はもちろん大事だけど、実業団選手はお金をもらって走っているのだから、大会で結果を出せなかったら会社に申し訳ない」という話がありましたが、自分は練習が弱いタイプですし、大会で結果を出せないのなら、自分の存在意義はないと思っています。
光武
きつくなったら、東日本実業団対抗駅伝競走大会で負けたときのことを思い出すようにしています。そしたら、もう1回、もう2回、とねばれることもあるので。あのときの悔しさを忘れないよう、意識しています。
熊倉
一番大事にしているのは「勝ちたい」という気持ちです。練習ひとつにしても、負けたくないです。諒君、光武、チームで一番強い照井さん、それから今年のルーキー、全員負けたくない。特にスピードは、自分の得意分野でもあるので絶対に譲らない気持ちです。今までは、名の知られた選手には、少し引いてしまうところがありましたが、今年は練習もできているので、有名選手にも食って掛かりたい。「勝つ」って、気持ちでやっています。

2020年の目標を教えてください。

熊倉
今年は、エースになる。その一言だけです。
齋藤
自分は東日本実業団対抗駅伝競走大会で、どの区間であっても、6位以内で走ることが最大の目標です。
光武
東日本実業団対抗駅伝競走大会で絶対に勝って、ニューイヤー駅伝に出場したいです。個人では10000m28分台を出すことを目指します。この2つだけは、絶対に成し遂げたいです。

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