小濱介護経営事務所 小濱道博代表の「経営をサポートするナレッジコラム」

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令和7年度介護事業経営概況調査結果を読む

2025/12/23 カテゴリ: 介護保険法改正

介護サービス全体の経営基盤:見かけの安定と構造的な脆弱性

令和7年度介護事業経営概況調査結果は、日本の介護サービス全体の経営が、表面上は安定しているように見えるが、実は深刻な問題を抱えていることを明らかにしている。調査は令和7年5月に実施され、令和5年度および令和6年度の決算データを対象としたものである。全サービスを総合した収支差率はプラスを維持しており、これは前年度の介護報酬改定の効果や、各事業所が利用者を増やし稼働率を上げようと努力してきた結果である。しかし、この平均的な数字が示す「安定」には大きな落とし穴がある。費用の大半を占める人件費が増え続ける中、サービスの種類によって、また事業所の規模によって、経営状況に大きな差が生まれているのである。

経営費用の大部分を占める給与費は、処遇改善加算の拡充や社会全体の賃上げの流れの中で増加し続けている。介護の仕事は人が中心の仕事であり、人件費がかかるのは当然である。給与の増加は、深刻化する人材不足に対応するために必要不可欠だが、同時に事業所の経営を圧迫し続ける最大の要因にもなっている。特に収益性の低い事業所にとっては、このコスト増が経営を苦しくさせる直接的な原因となっている。さらに、光熱費やその他の物価が上がり続ける中、給与費の割合が高いことは、事業所の経営を不安定にする大きな問題である。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kaigo/jittai23/dl/r05_gaiyo.pdf

調査の信頼性を揺るがす低回答率

本調査の最大の問題は、回答率が非常に低いことである。調査を依頼した事業所は17,528ヶ所だったが、実際に回答したのは8,099ヶ所にとどまり、回答率は46.2%である。つまり、半分以上の事業所の実態が調査結果に反映されていないのである。

サービス別に見ると、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)が61.3%と最も高いが、介護医療院は41.9%、訪問リハビリテーションは40.9%、ショートステイ(短期入所療養介護)は40.5%と、半数を大きく下回るサービスが多い。ケアマネジャーの居宅介護支援に至っては39.3%と極めて低い。

この低い回答率は、調査結果を信頼できるのかという深刻な疑問を生む。一般的に、経営状態が良い事業所ほど調査に回答する余裕があり、経営が苦しい事業所ほど調査に回答する余裕がない。これは統計の世界では「選択バイアス」と呼ばれる現象である。回答した46.2%の事業所は、業界全体の中では比較的経営状態が良い事業所に偏っている可能性が高い。残りの53.8%の事業所、特に経営難に直面している事業所の実態は、この調査結果には全く反映されていない。したがって、本調査が示す収支状況は、実際の業界全体の状況よりも良く見える数字になっている可能性がある。この偏ったデータに基づいて介護報酬を決めてしまうと、経営が苦しい事業所を見捨てる結果になりかねない。

https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001599506.pdf

サービス類型間の収益格差:市場原理と制度設計の歪み

介護事業の経営状況は、サービスの種類によって大きく違っている。これは、介護保険制度が「地域を支える社会的な仕組み」としての役割と、「効率的な経営」を求める考え方との間で、うまくバランスが取れていないことを示している。例えば、特別養護老人ホームのような大規模な入所施設は、建物や設備にかかる費用を多くの利用者で分担できるため、比較的収支が良い傾向にある。一方で、小規模多機能型居宅介護のような地域密着型サービスや訪問介護、一部のデイサービスは、収支が悪く、赤字になる事業所の割合が高い。

地域密着型サービスは、高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けるための大切な役割を担っている。しかし、小規模であるがゆえに、事務の仕事や人件費の負担が重く、経営を圧迫している。これは、地域の生活を支えるための費用が、現在の介護報酬の仕組みでは十分に評価されていない可能性を示している。

訪問介護の状況は特に深刻である。ヘルパーの人手不足と、処遇を改善するための人件費の上昇という二つの問題に直面している。訪問介護事業所の多くは小規模で、ヘルパー一人当たりの訪問回数を増やすことで収支を維持しようとしている。しかし、利用者宅への移動時間や距離という物理的な制約があり、効率化には限界がある。さらに、処遇改善加算をもらうために必要な研修や書類作成の負担も、小規模事業所ほど重くのしかかる。

デイサービスやデイケアも同じような課題を抱えている。送迎車両の維持費、施設の光熱費、職員配置基準といった固定費が大きい。利用者数が減れば、これらの固定費が経営を圧迫する。特に地方では、人口減少と高齢化が進む中で、デイサービスの利用者を確保することが難しくなっている。

収支の良し悪しだけでなく、そのサービスが地域で担っている大切な役割も考えて、赤字になりやすいサービスには、地域の実情に合わせた手厚い報酬や補助金の仕組みが必要である。また、営利法人、社会福祉法人、医療法人といった運営主体によっても収支に差があり、営利法人が比較的高い収益を上げている。これは、効率化と公益性のバランスをどう取るかという、制度の根本的な課題を示している。

https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001599503.pdf

介護事業における「規模の経済」と質の担保のトレードオフ

本調査結果は、事業所の規模が大きいほど収支が良いという傾向をはっきりと示している。利用者数の多い大規模事業所は、事務の仕事をまとめたり、設備を共有したり、職員を効率的に配置することで、小規模事業所と比べて収支が大幅に良い。ケアマネジャーの居宅介護支援事業所では、大規模事業所ほどケアマネジャー一人当たりの担当件数が多く、それが収益の源になっている。

大規模事業所は、複数の職員を配置することで仕事を分担でき、一人当たりの負担を分散できる。また、特定事業所加算などの加算を取るために必要な体制も、規模が大きいほど整えやすい。しかし、多くの場合、大規模事業所の高い収益は、職員一人当たりの仕事量を増やすことで実現されている。介護職員の担当利用者数を増やし、ケアマネジャーの担当件数を上限に近づけ、看護師の訪問件数を最大にする。こうした効率化は、短期的には収支を改善するが、長い目で見ると職員の疲労と燃え尽き、離職率の上昇、サービスの質の低下という悪循環を招きかねない。

一方、小規模事業所は、利用者数が少ないため、職員一人当たりの仕事量は比較的軽い場合もあるが、建物や設備にかかる固定費の負担が重く、赤字になりやすい。加算を取るための条件を満たすことも難しい。結果として、小規模事業所は、職員の処遇改善も設備への投資もできず、サービスの質を上げることができないまま、経営難に苦しむことになる。

しかし、介護サービスの本質は、利用者一人ひとりの尊厳を尊重し、個別のニーズに応える「人を支える仕事」である。効率化を追求しすぎて、一人当たりの仕事量を増やす経営のやり方は、現場職員の過重労働を招き、利用者と向き合う時間を減らし、多職種での連携の質を下げ、そして職員の離職率を上げるという形で、サービスの質を低下させる危険性を持っている。高収益と高効率は、経営の持続可能性を高める一方で、介護サービスの中心である「質」とは相反する関係にある。

今後の介護報酬の仕組みは、単に効率化を評価するだけでなく、職員にゆとりを生み出し、利用者への丁寧な対応を可能にするための「質を担保するための費用」を適切に報酬に反映させる考え方に変わる必要がある。業務の負担を適正にすることも重要な課題である。大規模事業所の高い収益が、職員の過重労働によって支えられている実態をしっかり見つめ、適正な職員配置の基準、担当件数の上限の明確化、業務負担に応じた報酬の加算などを検討する必要がある。

https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001599506.pdf

ICT・AI活用における深刻なデジタル格差

介護業界でのICT(情報通信技術)やAI(人工知能)の活用が進む中、新たな格差が生まれている。大規模事業所や資金的に余裕のある法人は、ケアプラン作成支援システム、記録業務の電子化、利用者情報の一元管理、AIによるアセスメント支援などの最新技術を積極的に導入している。これらのシステムは、仕事にかかる時間を大幅に短縮し、職員の負担を軽くし、サービスの質を向上させる。

例えば、AIを搭載したケアプラン作成支援ツールを使えば、従来の半分以下の時間で終わらせることができる。訪問介護や訪問看護でも、スケジュール管理システムや訪問ルートを最適化するAIを導入することで、訪問の効率を大幅に上げることができる。デイサービスでは、送迎ルートの最適化、利用者の健康データのリアルタイム分析、転倒リスクの予測などでAIが使われ始めている。

しかし、こうした取り組みができるのは一部の大規模事業所や経営基盤のしっかりした法人に限られる。小規模事業所の多くは、赤字経営か薄利経営のため、ICTやAIへの投資余力がない。システム導入には、最初の設備投資だけでなく、職員への研修、保守・更新、セキュリティ対策など継続的に費用がかかり、小規模事業所には重い負担である。

結果として、デジタル化が進んだ大規模事業所はさらに生産性を高めて収益を伸ばし、デジタル化できない小規模事業所は生産性が低いまま経営難に陥るという、デジタル格差による二極化が進んでいる。この「デジタル格差」は経営効率の差だけでなく、サービスの質の格差にも直結する。ICTやAIを活用できる事業所は、より精密なアセスメント、科学的根拠に基づいたケアプラン、危険の早期発見など質の高いサービスを提供できる。一方、デジタル化が遅れた事業所は、紙ベースの非効率な仕事に追われ、利用者に十分な時間を割けなくなる。

今後の制度設計では、小規模事業所へのICT導入支援を強化し、事業所の規模によらず質の高いケアを提供できる環境整備が不可欠である。

調査の構造的欠陥と改善の必要性

本調査には、回答率の低さ以外にも、いくつかの問題がある。

第一に、費用の内訳が詳しく分析されていない。給与費は示されているが、「その他」の費用項目が曖昧であり、物価高騰の影響や間接的な部門の費用を詳しく分析できない。正規・非正規職員の割合、職種別の給与水準、処遇改善加算の配分状況なども不十分である。

第二に、各種加算の取得状況と収支の関係が十分に検証されていない。特定事業所加算など、体制整備が条件となる加算を取得している事業所の収益状況や、加算取得に必要なコストを差し引いた実質的な収支が分析されていない。

第三に、ICTやAI導入の状況と生産性の関係が分析されていない。どのような事業所がどの程度導入しており、それが仕事の効率や収支にどう影響しているのか、今後の介護政策を考える上で重要だが、本調査ではこの視点が欠けている。

第四に、地域による違いの分析が不十分である。都市部と地方では経営環境が大きく違うが、構造的な違いを踏まえた深い分析には至っていない。調査の回答率向上、費用項目の細分化、加算との関連分析、ICT導入状況の把握など、調査設計の抜本的な改善が必要である。

令和9年度報酬改定への示唆

令和9年度の介護報酬改定に向けて、本調査結果をどう読み解くべきか。まず重要なのは、表面的な収支の数字に惑わされないことである。調査結果が示す数字は、回答した46.2%の事業所の平均値であり、残りの53.8%の経営難に直面している事業所の実態は反映されていない。

次に、サービス間の格差、規模間の格差、デジタル格差という三つの分断に対応した報酬設定が必要である。訪問系サービスや小規模事業所への基本報酬の引き上げ、加算取得要件の緩和、ICT・AI導入への財政支援など、格差を是正する具体的な対策が求められる。また、効率化と質の相反する関係を解消するための「質を担保するための費用」を報酬に組み込み、職員にゆとりを生み出す適正な職員配置や担当件数の上限設定が必要である。

介護保険制度は2000年の創設以来、四半世紀が経過しようとしている。本調査が示す三つの分断は、環境変化に制度が十分に対応できていないことの表れである。令和9年度報酬改定は、表面的な数字に惑わされず、現場の実態を理解した上で、効率化と質を両立させ、デジタル格差を是正する実効性のある制度改正を実現することが求められている。

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